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私のアメリカの友達に言われたことがあると書いた。
『何故、日本人はHow are youと聞かれた時に、常にI'm fine thank youと答えるのか?と!元気じゃない時もあるだろうに』の内容だ。
しかし、しかしだ先日、私はあることに気付いてしまった。
兎に角、I am fine thak youは、決して悪くはないぞと思うのだ。
先日のことだ、朝から元気の無い人に出会ってしまった。
朝一番で共に良い仕事をしようと思っている時に何となく気だるそうな態度、挙句にサァ~お仕事ですの時に軽い欠伸をしたりしている。
この人、昨日飲みすぎたのだろうか?
と心配になってしまう。
否、一緒に仕事しても大丈夫だろうかと思う。
朝だ!
さぁ~お仕事ですの時は、仮に元気でなくても『今日も一日元気で頑張りましょう・・・』と威勢をつけたいものだ。
仮に空元気だって良いではないか!
I am very fineと言って元気を出して今日も頑張れば良いと思う。
今月もお陰様で無事に共々に元気で万事好都合でお繰り合わせ頂けた。
感謝の気持ちで一杯だ!
8月も元気でより素敵な月になりますよ!
有り難うございます!
I am very fine thank you!
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24日のブログで一寸違った男として村上徳文氏をご紹介した。
同じ私達の仲間、『いもづるの会』のメンバーに加藤由美子さんがいる。
彼女は私と同級生になるのだが、『いもづるの会』の発足当時、折に触れて開催していたアートセッションで彼女に登壇して頂いて私がコーディネーターをさせて頂いたことを思い出した。
加藤さんは、版画家であり、オランダの風景の作品は、とても興味深い。
そのアートセッションで私は彼女に投げかけたことがある。版画家は私にとっては、とても不思議なのだ。
自民党と共産党が共存しているように感じる。
左派と右派が混在していないと版画家にはなれないように感じるのだ。
人間の嘘は鏡から始まると述べたことがあるが、鏡に映っている自分は本当の自分ではなく、左右が逆になった自分である訳で、毎朝鏡の前で髪を梳かせている自分は周りの人が見ている自分ではない。
版画家はどうなのだろう、一心に銅板を削って、それを刷ると彫った物の左右が逆になった作品が生まれるのである。
完成画をイメージしながら、その反対を彫っている感性は真に素晴らしいとしか表現しようがない。
理屈は理屈なのだが、その『かとうゆみこ銅版画展』が8月1日~15日迄、尾道の孔雀荘にて開催される。
何とも表現しようのない、優しい銅版画を是非共ご高覧頂きたい。
画廊珈琲 孔雀荘
尾道市土堂町4-8
電話0848-25-2109
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 先日、眠れないというのは、不足であるとも教えられた。
そして不眠症の話を少し書かせて頂いたが、最近の受験生のライフスタイルは存じ上げないが、私達の頃は、三当四落等の言葉が流行ったことがある。
三時間しか寝なかったら入る、4時間寝たら落ちると言う意味だが。
私は大体普段5時間前後しっかり寝すませて頂いている。
しかし、12時頃、床に就いて時折夜中3時頃目が覚めてしまうことがある。
トイレに行きたくなったりとか、色んな理由があるが、普段4時半に起きるので、後一時間しか眠れないなどと思うと、逆に目が冴えてしまうことがある。
今日は三時間しか眠れなかったと思うか、否3時間も眠れたと思うか。
後、1時間眠れると思うか、1時間しか眠れないと思うかで体調に大きな差があることが分る。
そこに感謝の気持ちが介在すればもっと素晴らしい!NASAのアメリカ航空宇宙局でのサバイバル訓練の話を思い出す。
訓練の最終段階で訓練生に教官が『残された水はコップ半分』と告げた時に
その訓練を生き残った者は『コップ半分あればなんとか助かる』
リタイアーした者は『コップ半分では乗り切れない』と思ったと報告がある。
即ち、前向きの人には道が拓けるということだ。
思考は現実になるとも言う。
3時間しか寝なかったから合格したのではない。
起きてても遊んでいては仕方がない!
3時間しか寝ないで頑張ったと思う意思が勝利をもたらしたに違いない!
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多くの問題も抱えながら、白鵬の連勝続行で大相撲名古屋場所が昨日千秋楽を迎えた。
NHKは放送をしなかった。
この2週間日中テレビを楽しみにされていた方は少し残念に思われたとも思う。
私はどちらかと言えば、観たいテレビ番組は録画して、しかもCMをカット録画したり、或いはCMになると早送りをしたりして、所謂エキスだけを短時間で観る方だ。
今回の大相撲だって、夜や翌朝のニュースで勝敗を観れば、或いは新聞で確認すればそれで満足でもあった。
又、大相撲ダイジェストは、仕切りや等もすっ飛ばして勝敗だけを映し出すが、今回のようにテレビ放送が中止されたりすると逆に、ダイジェストやニュースだけでは何か物足らない気がする。
勝手なものだ。
合理主義だけであれば、恐らく相撲は現代迄続いていなかったに違いない。
先日も少し書いたが、相撲をスポーツと割り切るならば、髷など結う必要もない訳だが、敢えて髷を結っている。
キックボクシングが始まる前にボクサーがリングで踊ったりするのと同じかもしれないが、仕切りをしたり塩を撒いたりには、それぞれ訳がある。
合理主義だけで割り切ってはならない精神の部分を今一度、協会の理事の皆さん、そして親方、関取の方々は分ってはいても等閑にしていなかったかを考え直し、名古屋場所の総括をして頂きたいと願う!
やはり相撲の管轄は文部省ではなく宮内庁か、神社本庁だと思うなぁ~
スポーツニュースで観る結果だけでは本質は分らない。
賭博問題や、不祥事も表面化された結果だけで対策を講じても解決にならない。
原点を見直すべきではないだろうか?
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昨日、移植ことに触れさせて頂いたが、考えてみると自分と違うものが、自分の体内に入って来るということは大変なことなのだ。
風邪のウィルスが入って来ても熱を出して追い出そうとする。
食べ物だって考えてみれば、他の命、細胞な訳だ。
野菜、魚、お肉と全て他の命なのだが、それを食べても腐っていたりしない限り、それはお腹の中に入っていく。
どうして、そこで拒絶反応を起こさないのだろうかと考えていたら、外科医の保田先生の話を思い出した。
中学生の頃、保田外科に行って不思議に思ったので先生に質問を投げたことある。
保田先生は外科・胃腸科だったのだが、胃腸は内科だと私は思っていたので、どうして外科に胃腸科あるのかと思ったからだ。
すると先生は、胃腸は体内ではなく、体外だと教えて下さった。
『まぁ~竹輪みたいなものだ』って。
よく理解出来なかったが胃腸は体内ではないということらしい。
あれから、色んな方にこの話を伺う度に多くのことを教わった。
先ほどの、食物を頂いても何故人は拒絶反応を起こさないのか?
それは、食事をして人は他の命を受け容れるが、元の命を跡形もない位分解してからでないと吸収をしないそうだ。
即ち、体外である胃腸で消化分解してから、元の形をなくした段階で体内に受け容れ、そして必要のなくなった物をかすとして排出する。
それが命の流れ。そんな私達の臓器が、医学の進歩で人の中でも、そのままの形で生きられるようになる。
正しく究極の調和でもある。
人間を動かしている天地とそして、天地を司る、一つの神の力が存在するかも知れない。
改めて考えれば、命の営みは
有難き、
勿体なき、
畏れ多きである。
天地に生かされる我として、人は、どこまで神の領域に入っていくことを許されるのであろうか?
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 移植医療の普及を目指す改正臓器移植法が17日に施行された。
器はできたが、中身が伴わない。
移植医療の要である移植コーディネーター(仲介者)を増やし、臓器提供を担う救急病院の態勢充実が急務だと新聞は伝える。
私もドナーカードを有している。
あるボランティア団体で、角膜移植等のドナーの登録する時に、一緒にさせて頂いたと記憶している。
真に不謹慎であるが、献血するような感じで登録をしたのかも知れない。
中には、誰かに誘われてお付き合いで登録された方もおられるかも知れない。
しかし、誰かに誘われてという軽い感じで書けるものではないと思う。
生と死について真剣に向き合って、あの黄色のドナーカードを書いたのかと自らに問い掛けてみたい。
新たな法律では年齢制限も引き下げられ、そして本人が生前中意思表示をしていなくても家族の同意があれば、ドナーになれるようだ。
しかし、申し出されて、それを決断する家族、特に親の思いは想像できないものだと私は思う。
この世界では、ドナーとレシピエント(受け取り手)間では、その名前などは明かされない。
それは、当然のことだと私は思うが、唯、ドナーとレシピエントとの関係を改めて考え直す必要もあるのではないか?
どんな人でも、人としての誇りがあれば、『誰かのお役に立ちたい』と願う筈だ。
誰かのお役に立ちたいと願う使命感に対して『誰かのお役に立てた』のだと確信出来る充実感が大切なのだと私は思う。
移植コーディネーターの方々の役割は、その使命感、充実感をどのように感じさせて差し上げることが出来るのかが一つの課題であると私は思う。
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高屋川の状況今年も昨日、梅雨が明けた。
今年もと書いたのは必ず明けるからだ。
朝の来ない夜はないと同じだ!
梅雨明けと同時に、昨日からいきなりの35℃近い猛暑だ。
一昨日までの大雨による被害が報告される。
そして、未だ発見されない行方不明の方がおられる。
心からお見舞いを申し上げたい。
梅雨や台風による大雨の時に、川の水位を確認に行ったり、或いは土砂崩れに巻き込まれてしまう。
これでか科学が進歩した時代でさえ、自然の力には成すすべもない。
それにしても、どうして、川の水位を見に行こうとされたのだろうか?
温泉の旅館に土砂崩れで取り残された人がいるとのニュースがあったが、どうしてこんな大雨の時に温泉に行こうとされるのだろうか?
自分の所だけは大丈夫、これ位の雨なら大丈夫、我が子に限ってのような発想があるのかも知れない。
誰も自分が被害者になるなって思ってはいないのだろうが・・・。
梅雨が明けて、こんなにも暑くなると今度は暑い暑いと不平を人は言う。
暫く晴れが続くと今度は雨乞いをする。
勝手なものだ。私達の生命を維持してくれる大切な水も時には牙をむいて人の命を奪う。
改めて自然に畏敬の念を持ち、大雨の時には避難をし、水位を見に行くようなことはしてはならない。
太陽のエネルギーを一杯受ける為に梅雨に沢山雨を降らしてくれる。
梅雨は、あたの為にのTo youかも知れない!
拙宅は海抜が低いところにある関係で以前にもお伝えしたが、度々浸水するが、今回はお陰様で無事であった。
福山市内はお陰様で一部蔵王町の小さな山崩れがあった程度で被害もなく有り難く梅雨が過ぎ去った。
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 私達の地元福山市熊野町鴬の里にある、中川美術館はとても有名である。
実業家で中国現代絵画の世界的コレクターの中川健造館長の個人コレクションを収蔵、展示してある。
敷地内には中国・北京の天安門を縮小コピーした「天安之門」が設置されている。
未だ記憶に新しいが、5年前の8月6日に、時の総理・小泉純一郎が、広島市で開催された広島平和記念式典に出席した後に中川美術館を隠密に訪問した。
親中派かつ中国陶器愛好家である総理自身が熱望した電撃訪問だった。
しかし、翌日の新聞は被爆者との懇談の時間を取るべきでなかったかと叩かれた。
総理は中川さんに「次にくる時は首相を辞めたときだ」とおっしゃったそうだ。
間隙を縫っての文化の探訪は、小泉総理らしくて私は素敵だと思う。
これも男の美学なのかも知れない。
中川館長は、私の姉が生存中に何かとご指導を頂いていたご縁もあり過日、偶然、商店街で中川館長さんとお目掛かる機会があり『一度ゆっくり会食でも』とお声を掛けて頂いてのが、先日実現した。
勿論、中国のお話。そして陶芸、戦国武将の話、そして政治そしてJCの話までとあっという間のイタリアンレストランでの一時であった。
『JCは男の美を壊した』(その理由は何かの機会にゆっくりとお伝えしたいと思う)と 話された。
そして『男はなぁ~何気ない漫談、井戸端会議の中から仕事のヒントを盗まなければならない・・・』と教えられた。
私達のまちに、世界に誇るべき物があり、誇るべき人がいらっしゃる。
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民主党の菅代表が、小沢元幹事長にお目にかかってお詫びを申し上げたいとのことだ。
代表者が会員に中々会えない。
社長が社員さんに中々会えない変な会社があったものだ。
唯、営業マンで飛び回っている社員さんを社長が捕まえるのは難しいのかも知れないが、しかし社長が呼べばお客様にお許しを乞って飛んで社長に会いに行かなければならない。
小沢さんは代表経験者、即ち歴代会長であるから礼を尽くしたいのは理解出来るが、代表が会いたいと思っている情報が入って来たら、どうなさるべきか?
私は幹事長を辞任された時に『今後は一兵卒として・・・云々』と確かおっしゃったように記憶しているが、違ったのだろうか?
民主党さんの内部の問題はさておき、菅総理、あなたが謝るべき相手は、日本国民にではないのですか?
一寸相手が違うように感じますが、ここ数日元気ながいのが気になっています。
少々お疲れとお察し致します。
どうであれ、日本のトップは常に活き活きと元気であって頂きたいと願います!
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何とも驚きだ。
タコのパウル君の予測通り、ワールドカップは、結局3位はドイツとそして、優勝はスペインになった。 誰がどう考えても不思議だ。
タコは喋ることが出来ないから、どうして勝者を選んだのかは誰にも分らない。タコ語でも理解できれば別だが・・!
理屈で説明出来ないことがあっても良いと私は思う。
ドイツの人達はセミファイナルで、パウル君が自国を選ばなかったから、食べてしまえとか随分なことをおっしゃた。
されど、3位決定戦で選ばれ3位になったので、彼の命は救われたのかも知れない。
このパウル君を食べた方は、凄い預言者になったりするかも知れないと思うのは私だけだろうか?
もしも、このタコさんが、瀬戸内の海にいて、そして、そのタコを釣り上げた漁師さんが信心深い人だったら、タコをお祀りする神社が建立されるか?
未来を見事に予言する『オクトパス神社』は如何だろうか?
それとも時代背景から考えると、神社を建立するよりもワイドショーに『ひっぱり蛸』になって、漁師さんは、ひっぱり蛸さんのマネージャーになっているかも知れない。
ヤクルトスワローズが蛸頼みになっていると聞いた。
人間は、小さなことに一喜一憂する、ひょっとすると蛸さんよりも弱い生き物なのかも知れない。
宇宙飛行士だって、搭乗の前には神に祈りを捧げる。
だからこそ、信仰を持つことは素敵なことなのかも知れない。
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実用書も良いけれど、時には全く分野の違う本を読むのも良い!
分子生物学の歴史や著者福岡伸一先生の体験をもとに、「生命とは何か?」ということについて書かれた非常に興味深い本をみつけた。
先日、福岡先生がテレビにお出になられており、興味深いお話をなさっておられたので早速買い求めた次第だ。
「生命とは何か?」という問いに対する答えとして、「動的平衡」をあげる。
生物は実世界にいる以上物理的な制約下にあるため、システムのエントロピーは増大し、エントロピー最大の状態、つまり死(平衡状態)に向かっている。
しかし、生命は無生物のシステムが平衡状態になるよりもずっと長い間、エントロピー最大とはならず、成長し、秩序を維持し続けている。
それは生命がその秩序を維持し続けるために、その秩序を絶え間なく壊し続けているためである。
結構難しい表現もあるが、結局は、我々を構成している分子は絶えず作られては壊され、その一連の動作が繰り返されることでエントロピー増大の法則に抵抗し、秩序を保っている。
それを可能にしているのはタンパク質自身のかたちであり、ジグソーパズルのピースが隣のピースが決まればすぐに決まるように、タンパク質もすぐにくっつくべき相手を見つけることができる。
また、生命は動的平衡状態にあり、「柔らかい」システムになっているため、柔軟に様々な変化に対して適応することができる。
つまり生命とはデカルトがとらえた機械としての生命とは一線を画し、その柔軟性、適応性が生命を生命たらしめている。
話として身振り手振りを加えて聞くとこの話は結構面白いのだが、こうやって文書にするとやはり、難しい気がする。
やはり、究極は人は自分の体すら思うようにならない。
心臓だって脳だって動かそうと思っても動くものではない。
だから、どんなに研究が進もうと真実は唯、一つ人は生きているのではなく、生かされているということに他ならないと私は思う。
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いよいよ、第22回の参議院議員選挙がやって来る。
何故か参議院選挙の期間は衆議院議員選挙に比べて長いような気がする。
立候補者の方々や直接応援なさっておられる方々には日々大変な思いをされておられると思う。
お見舞いを申し上げたい。
私はどうも参議院と衆議院の違いがはっきりと見えてこない。
本来、性格の違う筈のものが、同じ論点になっている。
以前にも申し上げたが、参議院を政党で選ばない方が私は良いように思う。
そして、参議院での採決も、党議拘束をかけてはならないと思う。
良識ある人達が、党派を超えて議論すべきが参議院である筈で、菅総理がおっしゃる消費税の問題を超党派でとこの参議院選挙の前におっしゃること自体が、本当に衆参の意味を分っておられるのだろうかと少し心配になる。
そして、各党は競ってマニフェストを出しておられる。
先日マニフェストに出てくる曖昧な、玉虫色の表現に注意しようと言語学者の金田一先生がおっしゃっていた。
以下のような表現は、特に注意をして読むべきとあった。
成る程と思う。
検討します。見直します---取り敢えず始める
全力を尽くします。目指します----頑張る
原則とか変更も----例外も変更
引き続き、更に---今までの変わらない
負担軽減とか活性化----表現が抽象的
民主党さんのマニフェストを検索エンジンを使ってインターネットで検索をして驚いた。
政権交代と未だ掲載されているではないか?
最初に飛び込んで来たページが、2009年版であってもこの写真では驚く。 http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2009/
民主党は今回はどこに政権交代を望んでおられるのだろうか?
やっぱり民主党では、無理だったから未だにこのフレーズが掲載されているのだろうか? 2番では、3番ではいけないのですか?とおっしゃるから、1番を取り戻そうと頑張る政党が少しづつ盛り返しているのだろうか?
何れにしても参議院は良識の府であることを今一度思い出して頂きたいと思う。
そして、清き一票を日本の為に皆で、投票に参りましょう!
そう言えば、最近、清き・・・のフレーズを聞かなくなった・・・
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そう言えば、非真面目人間の集まりが以前あり何度か出席させて頂いたことがあったが、最近その会は一体どうなったのだろうかと、ふと思った。
不真面目は良くないが、非真面目は不真面目でなく真面目のような固さもなく、一寸した遊び心を持った真面目なのかと理解している。
真面目は四角で、周りに気を遣わせてしまうが、非真面目は、まる~い感じで周りを和やかにしてくれる。
最近の車は殆どオートマチックで、昔のようなチェンジレバーは見かけなくなった。
坂道発進でクラッチを上手く使って下がらないように発進させる苦労も無い。
交差点でよくエンスト(エンジンストップ)する人がいたものだ。
交差点のエンストは、今思えば優雅というかホノボノとした感じがする。
マニュアルミッション、手動変速機と訳せば良いのか?これはN(ニュートラル)あるが、Nを経由しなくては変速出来ない。、チェンジレバーニュートラルは、何故か一寸した人生の余裕のような感じがして素敵だ。
ハンドルだって、遊びがあるから安全なのだ。
白いふっくら炊けたごはんだって、空気の層があるからふっくら美味しい。
地球の自転も誤差があるから、閏年には調整する。
理屈では解決出来ないことは世の中沢山ある訳だ!
それなら、固い信念を持って見えないものを信じることが、とても大切なだと思う。
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1994年のサッカーワールドカップ、アメリカ大会を覚えておられるだろうか?
ブラジルが優勝したことは覚えているが、日本は前年のドーハー悲劇によって予選敗退になった為に、私は本大会は余り残念ながら記憶にない。
確かイタリアのパッチョだったか、こんな名言を残している。
『PKを見事決めた選手は即座に忘れられるが、はずした選手は記憶に残る・・・』
正しく名言だ。
あの中田もPKを外した。
そして今回のパラグアイ戦での駒野選手。
PKも決めた今回のヒーローの本田は勿論素晴らしい。
しかし、ひょっとして後世に名を残すのは、外した駒野かも知れない。
PK決まるも外すも紙一重、否、神と人が重なり一体となる神人重かも知れない。
本田はあの時、手を合わせるような仕草をした。
神に祈ったのかどうかは知らないが、自らの足らないものを足して頂くように神に祈ったのかもしれない。
世の中人間には、計り知れない力が働いているのは確かだと私は思う。
それを人は『運』と言うのかも知れない。
無事に昨日、帰国してくれた、さむらいジャパン!お疲れ様でした。
岡田監督に厳しかったマスコミは、今度は岡田監督の軌跡等といった特番を作るなどとおっしゃる。
マスコミに節操を期待するのはおかしいだろうか?
それにしても素敵な帰国会見だった
ほのぼのとした中に、熱き感激があった!
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